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だいぶ前のことだけど、すでにこのブログを書いていたときのことだと思う。

四谷にある大学で、アメリカの大学に勤める研究者の発表を聞きにいった。
終わったあと、発表者ともども(だと思う)、日米さまざまな
若手研究者が入り交じりながら歩いた。

多分、私はそのとき、公募に落ちた、というようなことを
言ったのだろう。まだ若いアメリカ人の研究者がこう言ってくれた。

「大丈夫。私は博士論文を書いて1年してから、物事がまわり始めた。
私もいくつも応募して、落ちて、何度も泣いた。
だけど、最後には夢みたいな就職ができた。
カリフォルニアの家族のそばで、
やりがいがあって」

アメリカという広大な国で、たまたま家族のそばで
やりたいアカデミックポストが見つかる、というのが
いかに大変かは知っているので、へえ、いいなあ、と思った。

それからも色々あったが、
私にとっての夢みたいな就職ってなにか、
そのためにはいまどうすればいいか、ということを考えるようになった。

そう考えると、後輩や同僚が先に昇進したり就職しても、
大して悔しくない(忙しそうだし)。
給料と身分はそこそこでも、いつかやりたい仕事を
好きな人たちとできるような環境に身を置くようにするには
どうしたらいいか、ということにだけ集中した。
そうすると、先輩とか上司とかのウケを狙ったり
にらまれないよう、やりたくない仕事を引き受ける
ということもしなくていい。

そうこうするうちに、本当に尊敬できる人や
一緒にいて気持ちのいい人たちに会えるようになった。

いまの就職が決まったときは、自分でびっくりした。
指導教員はもっとびっくりした。
私は修士の時から同じ大学で研究員から
任期付の助教になっていたので、ずっと先を心配されていたのだ。
内定し就職するまで、なんどか研究室で
コーヒーを飲みながらしみじみと驚きと安堵のため息をついた。
先生が言った。
「なんか夢みたいだよねえ。自分でもここまでいい就職が
できるとは想像してなかったでしょう。想像外だよね」


本当にそのとおりで、具体的にここがいい、とは考えたことも
なかった。
でも、考えてみたら、この大学出身の人たちが関わるゼミに
出て、その人たちとの飲み会に出たりしたとき
すごく楽しそうに飲む人たちの集団がいて、
「私はあっち側に座る人になりたい」とぼんやり思っていたのだった。

とはいえ、自分が教える側になるとは思っていなかったので
いまでもまだ夢のなかにいるようである。

指導教員が、「もしかしたらドッキリなんじゃないか」と茶化しても、
「やあ、本当にそうかもしれないですねえ」というぐらい、現実味がない。
でも事実で、大学に行くと、私の研究室があって、フルネームで
ネームプレートがあるのである。
いやはや。

というわけで、夢の仕事に就いたわけだが、それは甘い日々ではない。
やりがいはあるけど忙しい。
再開したブログの更新も忘れるようになってしまった。

本ブログを始めたときは、まだSNSもなく、新しい
メディアとして勢いがあった。
当時、色んな大学教員のブログを読んだり、掲示板(なつかしい・・)
をみたりして触発されたけど、最近はもう、あまりしない。
正直、忙しくてそれどころではない。

ブログを書く教員たちは、指導学生に
自分の言いたいことや継承したいことを伝えられない立場に
ある人たちなんだと思う。
私がいるのは、地道な研究が好きな人が集まった地味な大学で
学生も、これまた地味だけど割と自分を持っていて
打てば響くような人たちだ。
院生もいて、次世代を担うような人材がぽつぽつやってくる。

そうして、本を読んだり、議論したり、話していくなかで
人が変わっていく瞬間って、本当に面白い。
自分がやってきたことに意義があると感じられることほど
研究者にとって嬉しいことはない。

なので、ちょっと切なくはありますが、やはりこのブログは本投稿をもって
終わりにしたいと思います。

多分、このブログがあったから、指の隙き間からこぼれていくような
ヒジョウな日常も、ただ消えていくだけではないんだと
感じられたのだと思う。
ここに書いていなかったら、いまの私はいなかっただろう。

ありがとう。
by chinaloca | 2015-09-29 00:28 | 人類学