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責任感について

ところで、最近、また、内田樹氏のブログが面白くなっている。「サラリーマンの研究」と、「憲法再論」についての話なんか、ひさびさの快進撃である。

ジェンダー関係と身体関係の議論については眉につばをつけながら読んでいるが、この人はやはり、現在の日本のアカデミズムにおいて、ものすごく大きな役割を果たしていると思う。それは、自分の立ち位置について、独善的にならずに責任をとるということがどういうことなのか、身を以てしめしているからだと私は考える。それは氏が、学生運動とは何だったのかを、個人的なこととして、かつ歴史的なこととして徹底的に反省し、思想と実践が整合的であるよう思想として(つまり、実践における矛盾も含めて思想を練ったということ)昇華させたことにあると思う。しかもそれを、私たちの世代にもわかるように言語化しえたのは、すごく貴重なことだ。氏が売れっ子になってなければ、研究会のシンポジウムに来てほしかったぐらいである。彼のブログでの学生運動とマルクスに関する記述のおかげで、いまの私の研究のスタンスができてきたとも言えるのだ。

旧学生運動系の人やその世代の人で、物わかりがよい人は多い。それどころか、自分が実はすっかり、年少者とは違う力をもった立場にあることすら気づいてない人もいる。そうやって、いつの間にか年少者を「友人化」してしまうため、年少者は、反抗を考えるきっかけすらつかまない。あるいは、反抗とは、その指導者が敵とするところの相手を敵とすることだと考えているふしさえある。これがお役所仕事の世界なら別にどうってことないのだが、先人をリスペクトしつつも批判して発展させなければ意味がない学問の世界では、けっこうヤバいことだと思う。

もしかしたら、自分の弟子に対しては内田氏もそうなのかもしれない(弟子の「友人化」をするということ)が、少なくとも、不特定多数の読者に対して、氏は意図的に、しっかと権力をふるっている。モノを言い切り、相手を説得し、自分に責任がふりかかってくる物言いをする。憲法改正の話を読んで、この人は、自分も世のサラリーマン同様、あるいはかつての革命家同様、自らをむしゃぼりつくされることにしたのだと思った。それは、ある意味、思想研究をし続けてきた者としての責任をとろうとすることなのではないかと思う。

で、最近、あまり誰も言わないようなのでひとこと言っておくと、責任感のある人というのは、なかなかに色気のあるものである。個人的にどうこういうわけではないのだが、あのブログは、そういう意味で、なかなか、色気があると思う。ただのおじさんの説教とは違うのはそこなのだ。
by chinaloca | 2005-05-12 11:57