人気ブログランキング | 話題のタグを見る
昨日、卒業生から悲痛なLINEがきた。
これまでだったら効いていた気分転換もできず、辛いので話がしたいと。
さっそく、会議の合間の1時間をとる。
本人の体調が悪く来られなかったのでビデオ通話をした。
元々、新卒で入った第一志望の会社がまさかのブラック。
退職して働き始めてうまく行っていたとおもっていたら、そこでもとんでもないことが起き、人間不信になったという。
相談を受けたときの心構え
慎重に、相談を受けたらどう話を聞くべきか、というリンクされたものを参考に話を聞く。
そして、落ち着いたところでセルフチェックシートに答えてもらう。
10問中、9にはい、とあり、かなり深刻な状況であることがわかる。
このままだと危険なので、できれば心療内科にかかるよう伝え、それができなければ
電話で相談するよう伝える。
また、3週間後になってしまうが、大学の学生相談室も対応してくれるということを伝える。
なんとかそれまで無事でいてほしい。

心配だったが、夕方、硬直していた問題が収束する方向に動いたという。
期待しない方がいいと伝えていたが、やはり安堵する。
話を聞いてもらって楽になった、とも言われた。よかった。


# by chinaloca | 2024-02-22 23:05 | 教える
サバティカルはバルセロナで。
2016年から夏に毎年、1ヶ月滞在し、キューバ出身で大学教員になった方に
客員研究員の身分を頂きながら、そう思った。
そのうち、サバティカルになったら受け入れしてもらえます?と聞いたら、もちろん!と。

一昨年は申請してもだめ。それが去年、私の番がきた。でも息子が中3になる年だし、やめようかと
思ったら、そう言ってるうちに、ずっと行けなくなる、と相方に言われ、確かにそうだね、ということで行くことにして申請。
通る。

そこから客員教授としての招待状を書いてもらったりしたのだが、これがまた面倒くさかった・・・
面倒なので割愛。

さらにそこから、研究のための長期滞在ビザを取るのだが、ネットや知人のつてから聞いた話だと、
有職の研究者であってもESTUDIANTE(学生)と書かれたビザを受けるとあった(しかも帯同家族も)。
そんなんでたかを括っていたら、なんと研究ビザができていた。
https://www.exteriores.gob.es/Embajadas/tokio/ja/ServiciosConsulares/Paginas/Consular/Visado-para-investigadores.aspx

しかもなぜかそれを発行するのが、文科省のような研究教育に関わる省庁ではなく、大企業や商業に関わる省庁であり
それをまず受け入れ大学が申請する必要があるのである。しかも彼らがその手数料を払わねばならない。

その申請書を出すまでに、私の方でも滞在中の健康保険の審査と支払い、帯同する家族との関係の証明(戸籍謄本だが、それに
値するものがスペインにないので説明に苦労)とそのスペイン語訳の取得、等々。
それを12月末に出すが、書類の不備というか追加の質問に答えていたら、「1月●日まで休暇です」って2週間待ちかい!

そして2週間が明けて件の省庁に申請した、との連絡がきたが、その後1週間以上しても返事が来ないので聞いてみると「まだです」。
その日か翌日、戸籍にアポスティーユがない、と連絡が。外務省が、この書類は信用できます、と太鼓判を押してくれるやつ。
というわけで取りに行く。ここで4−5日かかる。
もうこれでOK、と思っていたら、最後に「招待状にあなたのサインがいる」とのこと。
いや、いただいた招待状にサインするか?!と思ったが、とりあえず、する。
文句言われないように、アルファベット、漢字、アルファベットと漢字両方のバージョンを出す。

そしてしばらくして、ようやく「長期滞在許可」が発行され、そのPDFをプリントアウト。
在日スペイン大使館の説明には「予約をして」とあったので、真面目に予約のメールを入れると「予約なしで来てください」。
重要な情報アップデートせんかい!

書類はほぼ揃っていて、それでも相方は慎重に全部のコピーを取っておいた。
ただ、写真は「明るい背景」とあったのだが、「白」じゃなければいけないということで、青だった私たちはアウト。
明るいグレーの人もダメと言われていた。だったら「白い背景」って書けよ!
さらに言えば、「この国に住んでいるという証明」(6. ​​Proof of residence in the consular district. )というのがなんなのか気になり、
最後の最後に住民票を取りに行ってアポスティーユの申請もしにいっていたのだが、結局、要らなかった。

というわけで、先週の木曜に申請し、「2週間後に出ます」と言われたので、来週には出るはず。出ますように。










# by chinaloca | 2024-02-21 23:01
あらためて読むとブログっていいなあ、と思う。
完全に忘れたこととか、うっすら覚えていることとか、途上にあった時のことが色々残っていて感慨深い。

就職してまる八年になろうとしている。おかげで4月からはサバティカル。
忘れないよう、また書いてみようと思う。


# by chinaloca | 2024-02-17 10:05
だいぶ前のことだけど、すでにこのブログを書いていたときのことだと思う。

四谷にある大学で、アメリカの大学に勤める研究者の発表を聞きにいった。
終わったあと、発表者ともども(だと思う)、日米さまざまな
若手研究者が入り交じりながら歩いた。

多分、私はそのとき、公募に落ちた、というようなことを
言ったのだろう。まだ若いアメリカ人の研究者がこう言ってくれた。

「大丈夫。私は博士論文を書いて1年してから、物事がまわり始めた。
私もいくつも応募して、落ちて、何度も泣いた。
だけど、最後には夢みたいな就職ができた。
カリフォルニアの家族のそばで、
やりがいがあって」

アメリカという広大な国で、たまたま家族のそばで
やりたいアカデミックポストが見つかる、というのが
いかに大変かは知っているので、へえ、いいなあ、と思った。

それからも色々あったが、
私にとっての夢みたいな就職ってなにか、
そのためにはいまどうすればいいか、ということを考えるようになった。

そう考えると、後輩や同僚が先に昇進したり就職しても、
大して悔しくない(忙しそうだし)。
給料と身分はそこそこでも、いつかやりたい仕事を
好きな人たちとできるような環境に身を置くようにするには
どうしたらいいか、ということにだけ集中した。
そうすると、先輩とか上司とかのウケを狙ったり
にらまれないよう、やりたくない仕事を引き受ける
ということもしなくていい。

そうこうするうちに、本当に尊敬できる人や
一緒にいて気持ちのいい人たちに会えるようになった。

いまの就職が決まったときは、自分でびっくりした。
指導教員はもっとびっくりした。
私は修士の時から同じ大学で研究員から
任期付の助教になっていたので、ずっと先を心配されていたのだ。
内定し就職するまで、なんどか研究室で
コーヒーを飲みながらしみじみと驚きと安堵のため息をついた。
先生が言った。
「なんか夢みたいだよねえ。自分でもここまでいい就職が
できるとは想像してなかったでしょう。想像外だよね」


本当にそのとおりで、具体的にここがいい、とは考えたことも
なかった。
でも、考えてみたら、この大学出身の人たちが関わるゼミに
出て、その人たちとの飲み会に出たりしたとき
すごく楽しそうに飲む人たちの集団がいて、
「私はあっち側に座る人になりたい」とぼんやり思っていたのだった。

とはいえ、自分が教える側になるとは思っていなかったので
いまでもまだ夢のなかにいるようである。

指導教員が、「もしかしたらドッキリなんじゃないか」と茶化しても、
「やあ、本当にそうかもしれないですねえ」というぐらい、現実味がない。
でも事実で、大学に行くと、私の研究室があって、フルネームで
ネームプレートがあるのである。
いやはや。

というわけで、夢の仕事に就いたわけだが、それは甘い日々ではない。
やりがいはあるけど忙しい。
再開したブログの更新も忘れるようになってしまった。

本ブログを始めたときは、まだSNSもなく、新しい
メディアとして勢いがあった。
当時、色んな大学教員のブログを読んだり、掲示板(なつかしい・・)
をみたりして触発されたけど、最近はもう、あまりしない。
正直、忙しくてそれどころではない。

ブログを書く教員たちは、指導学生に
自分の言いたいことや継承したいことを伝えられない立場に
ある人たちなんだと思う。
私がいるのは、地道な研究が好きな人が集まった地味な大学で
学生も、これまた地味だけど割と自分を持っていて
打てば響くような人たちだ。
院生もいて、次世代を担うような人材がぽつぽつやってくる。

そうして、本を読んだり、議論したり、話していくなかで
人が変わっていく瞬間って、本当に面白い。
自分がやってきたことに意義があると感じられることほど
研究者にとって嬉しいことはない。

なので、ちょっと切なくはありますが、やはりこのブログは本投稿をもって
終わりにしたいと思います。

多分、このブログがあったから、指の隙き間からこぼれていくような
ヒジョウな日常も、ただ消えていくだけではないんだと
感じられたのだと思う。
ここに書いていなかったら、いまの私はいなかっただろう。

ありがとう。
# by chinaloca | 2015-09-29 00:28 | 人類学
しばし投稿してないのは、エキサイトブログのアプリが変わって使いにくくなったためです(怒)。

なんかもう、最初のが良かったんですけど...

三連休の一日目であれば、半日の
研究会ぐらい普通に笑顔で送り出してもらえるのですが、この二日、風邪の王子とともに篭っていた相方。さすがに出かけないとかわいそうです。

というわけで公園近くでお昼食べてそこから私は研究会...と思ったのですが、予報が外れてずっと小雨。

仕方なくしばしIKEA店内を周り、雨あがりを待つもやっぱりあがらない。

ちょうど映画『バケモノの子』が始まるところだったので2800円(たかっ)のチケットを買って、3時間遅れで参加。

人類学の若手研究者支援。
...に、若手の人ばかりいて「誰が支援するんだ?」と若干、疑問に思いましたが...

最後のコメントしか聞けませんでしたが皆面白く、有意義でした。

ただ、人類学をヒラくことによって、キャリアパスが開けるかどうか、っていうのはケースバイケースとしか言えないような。

博論書かずに就職できちゃう人もまだ結構いるし書いても決まらない人もいれば、すべてどっつつかずの人もいる。

自分が信じる道に賭けるしかないところもあるでしょう。そこが研究教育機関と企業の違いだし。
ふう_b0061491_19025995.jpg

ふう_b0061491_19025987.jpg

草を食べるためヤギが放たれてますの。


# by chinaloca | 2015-07-18 18:48